『走る詩人』 加澄ひろし

サブフォーを目指さない文化系ランナーの独り言

長野マラソンの思い出

『走る詩人』加澄ひろしです。

 

春がやってきました。春になると、長野マラソンを思います。1カ月後の4月18日には、長野マラソンが開催予定されていました。新型コロナのせいで、2年連続で中止になってしまった大会です。

今回は、2019年に走った長野マラソン大会の思い出をご紹介します。僕が人生で初めて走ったフルマラソンの思い出です。

 

 

 

2019年4月21日の朝、僕はスタートラインに立っていた。長野マラソン大会のスタートラインに立っていた...否、スタートラインの遥か後方、数百メートルも離れたスターティングブロックに立っていた。胸に付けたゼッケンナンバーは「106xx番」、自分の前には8千人以上のランナーが、それぞれの申告タイム毎に分けられたスターティングブロックに立ち、スタートの号砲を待っていた。スタート地点にあるスターティングゲートは、並ぶランナーの頭越しに、遥か彼方にかろうじて見えている。

 

会場に着いたのは、スタートの1時間ほど前だった。早朝の電車に乗り、駅から徒歩で「長野運動公園」までやってきた。電車も道も会場に向かうランナーで埋め尽くされ、のどかな田舎町の風景の中、異様な高揚感に包まれていた。

ランニングのシャツもパンツも、ホテルで着てきているけれど、走るためには、羽織ってきたウィンドブレーカを脱ぎ、レース用のシューズに履き替え、支度を整えたら、荷物をひとつにまとめて荷物預けに託す必要がある。預けた荷物は、ここから離れたフィニッシュ地点まで運んでもらえる。更衣室を探して着替え、リュックに荷札を付けて、預けるべきトレーラを探す。こうしていると、時間はどんどん過ぎていく。マラソン会場では、時間に余裕を持って行動することが基本だ。荷物を預けて身軽になったら、トイレを済ませなくてはいけない。何しろ、スタートしたら、4時間以上も走り続けることになる。コース上にもトイレは設置してあるけれど、途中でトイレに寄れば、それだけでもタイムロスになる。我慢して走るにも限界がある。レース前にトイレに行って、尿意とサヨナラしておくことが、僕にとっては大事なことなのだ。スタート会場には、たくさんの仮設トイレが設置してある。それでも、その前には、何人ものランナーたちが列をつくっている。トイレを済ますにも、時間が必要だ。でも、今日の自分には余裕があった。スターティングブロックの整列締切(スタート15分前)までには、まだ30分近くあった。朝食を早めに摂ったので、基本的にはホテルですっきりさせていたし、冷え込みがなかったので、強い尿意を感じているわけでもなかった。

トイレを済ませると、僕はスターティングブロックに向かった。目指すのは「Lブロック」、「A」からはじまって「M」で終わる最後方から2番目のブロックだ。総勢1万人のレース、各ブロックには、1000人近くのランナーが集まるはずだ。「L」ブロックには、なかなかたどり着けなかった。号砲が鳴ってから、スタートラインまで、何分くらいかかるのだろう?

  

スターティングブロックへの整列が締め切られると、ランナーたちは、少しずつ前に誘導される。スピーカからは、MCがランナーを案内し、盛んに大会を盛り上げている。通常、整列からスタートまでは、時間が長いと感じるものだが、この日は違った。演出があって飽きさせないのだ。Qちゃんと一緒に行うストレッチがあった。招待選手の紹介があった。高校生によるたどたどしい英語のアナウンスもあった。僕たちランナーは大いに盛り上がり、これからのマラソンに思いを熱くして、スタートの時を待っていた。

右足の靴ひもが、少し緩いような気がした。いつものことだ。いざ走り始めようとすると、右足の靴ひもが気になる。加えて、ランニングパンツの履き心地に、違和感があった。何となく気に入らない。レースではありがちなことだ。靴ひものことも、パンツのことも、走り始めれば忘れてしまう。気にしないことだ。

そしていよいよ、スタート10分前がアナウンスされ、5分前、1分前と告知された後、乾いた号砲の音が、スピーカから流れた。

 

レースは始まった。スタートラインまで、数分かけて歩いた。スタートラインの直前まで、列が詰まっていて、とても走れる状態ではない。でも、それはわかっていたことだ。どんなマラソン大会でも同じこと、スタートラインを踏んで、マラソンレースは始まる。ゲストのQちゃん(高橋尚子)に大きな声で励まされ、「ザ・カナディアン・クラブ」の演奏に後押しされながら、僕たちは走り始めた。

スタート地点の喧騒は、ほどなく聞こえなくなる。周りのランナーたちの走る足音を聞きながら、自分は自分のステップで、自分のペースを守って走る。腕につけたランニングウォッチが、ペースを教えてくれる。飛ばし過ぎないように気を付けることが大切だ。走り始めは体力があるから、頑張ろうとするとオーバーペースになる。1キロを「6分30秒弱」で走ろうと考えていた。42.195キロを同じペースで走り続ければ、4時間35分くらいで走り切れる。後半に少しペースアップできれば、4時間30分でフィニッシュできるだろう。そう、僕にとっては初めて走るフルマラソン、目標タイムは4時間30分と決めていた。

 

スタートから5キロ、きわめて順調だ。若干のアップダウンがあったが、余力は十分だ。息も上がっていないし、身体の疲れもない。善光寺門参道の坂道を下って、10キロに至っても、足も身体も、とても元気。ゆるいペースで、どこまでも走れそうな感覚だった。この季節、この気温で、僕は給水を必要としない。ハーフマラソンだったら、無給水でフィニッシュまで走り切れる自信があった。けれど、今日はフルマラソンだ。5キロの給水はスキップしたけれど、10キロ過ぎでは、水に手を伸ばすことにした。そうは言っても、欲しくない水は喉を通らない。口を湿す程度にして、残りの水は捨てた。

 

前日受付のために昨日来た「ビッグハット」を見ながら走り、清掃センター横のきれいな道を走ってしばらく行くと、折り返しのランナーとの擦れ違い区間に入る。みんな、速いし元気だ。疲れている様子は微塵もない。

気が付くと、ペースが上がっている自分に気が付く。時計のラップは、5分台を表示している。いけない、飛ばし過ぎだ。これでは最後まで持たないだろう。ピッチを抑えて走っているつもりだが、なかなかペースが落ちてこない。気持ちのよいペースで走ろうとすると、いつの間にかスピードが上がっているのだ。せめて6分台まで落とさないと。

 

10キロから15キロ、そして20キロまでの区間、結果的に、ハーフマラソンのペースで走ってしまった。途切れることのない応援に励まされて、周りを走るランナーたちと一緒に頑張って、そして、ペースは落ちなかったのだ。21キロ過ぎの中間点でのラップタイムは「2時間6分」くらい。想定より10分以上も早くなってしまった。けれど、この時点で、自分はまだまだ元気だった。このペースを持続出来たら、余裕を持って目標タイムで完走できる。そう思っていたのだった。

 

けれど... つけは意外に早くやってきた。

 

25キロが近づいていた。まだまだ行けるけれど、この辺でエネルギー補給しておこうと思った。ポケットからスポーツ羊羹を取り出し、走りながら口に入れた。口の中に甘みがひろがって、いつもの通りおいしい。何も問題なかった。けれども、ラップタイムが少し落ちていた。ランニングウォッチの数字は、6分台を表示していた。足のバネが利かなくなってきたのかもしれない。それでも6分台前半であれば、余裕のはずだった。前半の貯金があるから、6分台で走り切れば、4時間半でフィニッシュできるだろう。

25キロ過ぎ、ホワイトリングの手前でエネルギーゼリーを配布していた。要らないと思ったが、この先の距離を考えて、一瞬迷い、手に取った。小さなゼリーとは言え、プラスチックのパックを持って走るのは、ちょっと辛い。このまま捨ててもよいが、せっかくだからと思い、封を切って口に入れた。マズイ!  この化学的な味と妙な食感が、僕は好きじゃない。それでも栄養補給だと思って、半分くらいを飲み込んだ。思考回路が狂い始めていたのかも知れない。言うに言われぬ口の中の気持ち悪さに襲われて、半分残ったパックは、沿道のゴミ箱に投げ捨てた。

 

正直なところ、どこで足が止まってしまったのか、はっきりは覚えていない。30キロに至るまでの、どこかで疲れを感じ、どこかでペースが狂ったのだ。

たしか、橋の上で、Qちゃん(高橋尚子)とタッチした。かなり手前から、スタッフの方の声掛けがあり、彼女のところまで、一心不乱に走った。直後は元気を取り戻したように感じたことを覚えている。

その後、堤防の道を走った。ガーミンの記録を見ると、29キロに至るラップで7分台に落ちている。周りを走っていたランナーに引き離され、後ろから何人もに追い越された記憶がある。でも、走ることを止めはしなかった。

 

30キロのスプリットは、3時間03分と記録されている。たいしたものだ。3か月前に30キロを走った時の記録は、3時間18分だった。コースマップを見ると、30キロ地点は「上高相」の交差点。その先は、「ふたこぶラクダ」と呼ばれるアップダウンが控えている。

...走り続けることを諦めて歩き始めたのは、この上り坂だったのだろう。

足が上がらなくなっていた。ふくらはぎにかすかな違和感があり、無理をすると故障するかもしれないと思った。まだ残りは12キロある。無理をせず、足を温存しておいた方がよいと思った。

歩くランナーが目立ち始めていた。走り続けようとするモチベーションが落ちていた。少しくらい歩いたからといって、何が問題だろうか?上り坂では歩いて脚力を温存した方がよいのではないか?こうした考えが、この先のレース結果を決めたのだった。ここで歩き始めたことが、良い意味でも悪い意味でも、僕にとっての初マラソンの記録を決定づけたのだ。

 

ついに歩いた。初めは100メートル程度だったと思う。でも、一度歩くと、走り続けることが出来なくなっていた。走りと歩きを繰り返すタイミングが次第に頻繁になり、歩く距離がどんどん増えていった。

足が上がらなくなっていた。給水所をきっかけに、走り方を切り替えようとしていた。足のバネを使わず、身体全体で前に進む。引きずるような動きにして、足への負担を減らしてやろう。たぶん、相当よたよたしていたと思う。走るペースは上がらず、完全に失速していた。走っている間は、歩いているのとあまりペースが変わらないように感じていた。でも、いざ歩き始めると、スピードが全然違うことに気が付く。それでも、走る距離はたいして稼げなかった。走ったかと思うと歩き、しばらく歩いたら、力を振り絞ってゆっくり走る。

 

長い堤防道路に上がると、対岸の向こう側にゴールの「オリンピックスタジアム」が見えていた。はっきりとわかるが、そこまでまっすぐでも、かなりの距離がありそうだった。しかも、僕たちは、スタジアムを背にこの堤防をしばらく走って、橋を渡って対岸に渡り、引き返してくることになる。目を凝らすと、対岸を走るランナーたちの列が見えた。延々と続いているように見えた。いったいどこまで行って、どこまで引き返すのだろう。どこから堤防を下りて、ゴールに向かうのか、こちら側からではわからない。でも今は、ひたすら前を向いて、進むしかない。走っては歩き、歩いては走りを繰り返しながら、35キロまでの5キロは、36分かかった。

 

35キロを過ぎると、走り続けるのは本当に無理だと感じるようになっていた。制限時間までには、十分な余裕があるし、早足で歩けばフィニッシュできるだろう。走る時はよたよたしていても、歩くペースは維持できた。だらだらと歩くのはやめよう。早足でウォーキングしようと心に決めた。

 

35キロから40キロまでの5キロは、38分かかってしまった。歩いている自分は、何だか情けない。歩いているランナーも多いが、走っているランナーはもっと多い。スピードは遅くても、みんな頑張っているのだ。自分はどうして走れないのだろう。そう思って走り始めても、数百メートルしか続かない。無理しないでいい、ゴールは近い。

長野の豊かな自然を楽しもう! 周りの山がこんなにきれいじゃないか! あっちもこっちも花盛りで、春爛漫じゃないか!せっかくこの地に来て、この季節を過ごしているのだから、自分の時間を楽しもう!時間がかかった分だけ、長野の自然を満喫しよう!

 

堤防道路は40キロに至る手前で終わり、コースの残りは町なかの道路になる。あるランナーが、一緒に走る仲間に言っているのが聞こえた。

「ここまで来れば、歩いたって間に合う。走るかどうかは、ランナー次第だ。」

そう、残り全部歩いても制限時間内にフィニッシュできる。完走だ。残りの距離、どれだけ走るか、自分の脚力と気力の問題なのだ。

41キロから先は走ろう! そこまでは、脚力を温存しよう! 僕はそう思った。それが、僕の選択だった。サングラスを顔から外した。日差しがまぶしかった。でも、ゴールに向かう自分が嬉しかった。あとしばらくは歩いても、最後は力を振り絞って走ってフィニッシュしよう!

 

41キロの表示を見て、僕は足に力を込めた。ここから先は、1.2キロしか残っていない。最後まで走れるかどうか、頑張ろう!途中であきらめたい気持ちになった。走り続けなくてもいい、という思いも湧いてきた。でも、僕は走り続けた。沿道の声援に励まされた。周りを走るランナーにも勇気づけられた。足は止まらなかった。きっと、相当へばっていたけれど、とにかく足は止まらなかった。スタジアムの入口が見えると、コースは砂利道になった。小石を踏みしめると、シューズが滑る音がした。でも、そんなことは気にならなかった。コースの両脇を埋め尽くす人々が、頑張れ! 頑張れ!と声をかけていた。

 

走るのがきつかった。力を振り絞りながら、思わず目をつぶっていた。

 

目を開くと、スタジアムの入口でQちゃんがランナーにタッチしている姿が見えた。左手でタッチしながら、すれ違いざま声をかけられた。「完走、おめでとう!」そうだ、フルマラソンを完走できたんだ。そう思うと、また力が湧いてくるようだった。

スタジアム内は人工芝だった。足もとが柔らかくて、疲れた足に気持ち良い。コース際では、こどもたちが、ランナーを応援してタッチしていた。でも、僕にその余裕はなかった。敢えて、走路の反対側を走り、わき目もふらずゴールを目指した。夢中だった。

フィニッシュゲートがすぐ先にあった。僕は両手を高く上げ、天を仰ぎながら、フィニッシュラインを越えた。手元の時計を止めると、4時間39分を示していた。

 

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フィニッシュ地点では、ランナーたちが喜びの表情を浮かべていた。自分も、うれしくて、うれしくて、たまらなかった。フルマラソン、42.195キロを完走した自分には、大きな達成感があった。

途中で歩いてしまったし、弱い自分が感じられたけど、でも、とにかく、40キロ以上の距離を、定められたルールの下で、制覇出来たのだ!

肩に、フィニッシャタオルをかけてもらった。首には、完走メダルをかけてもらった。

うれしかった。有難かった。そして、自分が誇らしく思えた。

口々にかけられる「完走おめでとう!」の声に感激し、思わず涙が出そうになった。

 

荷物を受け取り、攣りそうな足を引きずりながら、僕は、僕たちランナーを支えてくれた大勢のスタッフやボランティアの人々のことを思い浮かべていた。

 

...これは、当時の手記をもとにした、僕の長野マラソンの想い出です。

 

長野マラソン」は、素晴らしい大会でした。そして、僕の初マラソンは、忘れられない思い出になりました。フルマラソンは、僕たち市民ランナーにとって、年に何回も参加できるような大会ではありません。だからこそ、ひとつひとつの経験を胸に刻み、これからも挑戦を続けていきたいと思うのです。

 

長野マラソンのオンライン大会エントリーが 始まりました!

www.naganomarathon.gr.jp

 

 

 

筆者へのメール: kasumi@tokyo.ffn.ne.jp